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中曽根康弘元首相に聞く: (上)「むつ」廃船/原船離れ 世界のすう勢

 再処理工場やウラン濃縮工場、放射性廃棄物施設、原発が立地し、国内有数の原子力立地地域となりつつある下北半島。東奥日報社は、原子力基本法の施行と原子力委員会の発足から五十年目を迎えたのを機に、原子力開発の黎明(れいめい)期に予算や法律、推進体制の整備に奔走し、日本における原子力利用を先導してきた中曽根康弘元首相(87)にインタビューした。
中曽根氏は、首相在任中の一九八三(昭和五十八)年に衆院選の遊説で訪れた青森市で「下北を原子力のメッカに」と述べ、県民を驚かせたことについて、電力業界が水面下で青森県に再処理工場の立地要請をしていた事実を踏まえた発言だったことを明らかにするとともに、「再処理まで考えた(原子力)中枢センターは下北半島だとにらんだし、そう通りになったと思う」と述べ、二十三年前の自身の予測が実現に向かいつつあることを強調した。
下北半島が日本の原子力政策に果たして来た役割については「一番高い貢献をしてもらっている」と地域住民に謝意を表した上で、「施設立地をお願いする前に、国が責任を持って港湾と高速道路の整備を急ぎ、原子力推進に国として力を入れて取り組むことが大事だ」と述べ、地域支援策を伴った国による強力な原子力推進の必要性を訴えた。

(上)「むつ」廃船/原船離れ 世界のすう勢

-一九八三年十二月、中曽根首相(当時)は衆院選の遊説先の青森市で記者会見し、「下北半島は日本有数の原子力基地にしたらいい。原子力船母港、原発、電源開発ATR(新型転換炉)と、新しい型の原子炉をつくる有力な基地になる。下北を日本の原発のメッカにしたら、地元の開発にもなると思う」などと発言したが、どんな背景があったのか。

広大な土地と海

「原子力は日本のエネルギー、生活力を支える非常に大事な要素になると考えていた。電力一つ取っても石炭・石油から脱却しなければならない時代が来る。中長期の原子力開発計画を頭に描いた場合、日本列島の中で原子力の開発センターになるのは、広大な土地があり、海にも面している下北半島だと考えていたから、そのように話した。大体、そういうふうに展開してきたと思う」

「原子炉は今後、高速増殖炉の方向に発展していく。核融合も最終目標としてある。それと同時に、再処理の問題が出てきて、再処理から派生する射線科学が生まれ、日本、世界に対する発信地になる。そういう可能性を頭に描いて申し上げた。青森県の皆さんには非常に理解していただき、協力していただいた点は大いに感謝している」

-電気事業連合会が青森県に再処理工場を含む核燃料サイクル施設の立地を要請するのはメッカ発言の翌年の八四年四月だが、事前に水面下の動きを把握していたのか。

「もちろん、そうだ。恐らく、原子力の将来を考えている、いろんな事業体が立地問題を考えていたと思う。発電所の立地点は電力需要地との関係もあり、全国に分散しているが、原子力の中心になる再処理事業まで含む中枢センターというのは全国に一カ所程度だ。それはやはり、下北半島だとにらんだし、その通りになったと思う」

-茨城県東海村に続く第二の原子力センターが必要ということか。

「東海村は広さに限度がある。東海村は日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)を中心に発展していくべきものであって、実用炉および実用炉から出てくるいろいろなものの処置・研究は東海村だけでは手に負えない。何しろ狭すぎる。そういう点から、実用炉を中心とする次の基地となるのは下北半島だと考えていた」

-メッカ発言については、青森県関係者からの働き掛けもあったのか。

「それはない。全然ない。むしろ、あの当時の世論からすると、迷惑な発言だと受け取られる危険性の方が強かったと思う。しかし、安全性については私は確信を持っていた。だから、今後展開していくとみていた。安全性に不安があったら、そんな発言はできない」

地域の理解重要

-原子力に比較的寛容な土地柄であることも考慮したのか。

「そうだ。それでも実際問題としては、いろいろな問題で青森県知事の承認を得るのに苦労してきた。地域住民との話し合いによって、施設の安全性を確認してもらうことが推進力になる。科学的に立証された材料を提供しながら説明をし、了解を得ることが大事だ」

-青森県とのかかわりが深い原子力事業に、原子力船「むつ」がある。「むつ」は放射線漏れトラブルの後、自民党「原子力船を考える会」で廃船論が急激に高まり、自民党科学技術部会は八四年に「開発中断」との結論を出し、国策だと思っていた青森県民を驚かせた。

「(原子力船にしようと考えていた)砕氷型巡視船『そうや』の実験が必ずしも成功していなかったことが大きい。世界各国の原子力船開発に対する意欲も薄れていた。ソ連が砕氷船を運用していたほかは、潜水艦や航空母艦として導入されていたぐらいだ。費用の問題や、住民の反応を見て各国とも民間用としては手控えてきた。商業用船舶に使われる可能性が世界的に少なくなった。日本も世界的すう勢に従わざるを得なかった」

-原子力船の誘致による地域振興を願っていた地元関係者には、原子力開発に熱心な中曽根首相(当時)なら廃船論を抑えてくれる、との期待感もあったと思う。

「軍事用には使われるけれども、一般の商船用には使われない。そういう世界的すう勢を見ていたから。日本は世界的な海運国だから、外国と同じペースで進まないと地位が保てない」

-下北半島が日本のエネルギー政策に果たしてきた役割をどう評価しているか。

「日本の原子力発展については一番高い貢献をしてもらっている。今後の原子力開発の将来を見ると、下北半島にはまだ余裕がある。施設立地をお願いする前に、国が責任を持って港湾と高速道路の整備を急ぎ、原子力推進に国として力を入れて取り組むことが大事だと思っている」


2006年3月19日(日) 東奥日報

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