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中曽根康弘元首相に聞く: (下)原子力50年/政治の力で利用に道

(下)原子力50年/政治の力で利用に道

-中曽根氏が、昭和二十八(一九五三)年度予算に突然、修正案という形で原子力関連予算を提出したのは、どういう思いからだったのか。

「五三年、私は米国ハーバード大学の国際研究セミナーに招待され、終了後に米国の原子力施設を視察した。アイゼンハワー米国大統領の『アトムズ・フォー・ピース』(平和のための原子力)という発言が大いに注目を集めたころで、軍事機密を民間に公開していた。米国では民間の原子力産業会議が発足したことも知り、このままでは日本は遅れてしまうとの危機感を抱いた。そこで、カリフォルニア州バークレーのローレンス研究所にいた、理化学研究所の嵯峨根遼吉博士と会って相談した」

-博士からは、どんな助言があったのか

「彼は三原則をぜひ守ってくれ、と言った。一つは、長期的展望に立った国策を確立すること。二つ目は、法律と予算でそれを裏付けること。三つ目は、優秀な学者を集めること。いいかげんな学者が群がって来るが、いい学者を入れないと発展しない-と彼は言っていた。私はいい話を聞いたと思って、それを実行したわけだ」

-当時の学術界の様子はどうだったのか。

「日本学術会議の茅誠司会長、伏見康治さん(大阪大学教授)らが原子力研究の承認を得る動議を出しては、ことごとく否決され、動きがとれなかった。そういう状況を見て、政治で壁を破る以外にないと決心した。事前に情報が漏れると反対運動が起きるから、川崎秀次君、桜内義雄君、稲葉修君ら同志にだけ極秘に相談した。私は予算委員会の筆頭理事を務めていたが、党幹部に前日に相談し、予算案が予算委員会を通過する直前に修正案として出した」

党派を超えて

-修正案提出は各界に衝撃を与え、大騒ぎになったとか。

「当時、私は改進党に所属していた。予算案を組んでいた自由党は小憎らしいと思っただろうが、反対するわけにもいかない。改進党が賛成しなければ、予算案が通らない状況だったからだ。短時間の仕事だったからうまくいった。成立した原子力関連予算は、原子力平和利用研究費補助金二億三千五百万円とウラニウム資源調査費千五百万円だった」

-翌五五(昭和三十)年にはジュネーブで第一回原子力平和利用国際会議も開かれた。

「会議には日本も代表団を送った。工業技術院長の駒形作次博士が団長で、私と自由党の前田正男君、社会党右派の松前重義君、同党左派の志村茂治君の四人が顧問として同行した。議長はインドのバーバー博士。インドの原子力開発がかなり進んでいることが分かったし、世界の原子力情勢も知り、日本も早く取り組まなければいけないと感じた。会議終了後、四人でフランス、ドイツ、イギリス、米国を回って原子力施設を視察したほか、政策を子細に調べて、道中、四人で議論をした。羽田空港に戻る前には日本の原子力政策の要綱を作り上げた」

「帰国後は、超党派で原子力合同委員会をつくり、私が委員長になり、原子力関連法を制定した。原子力基本法、原子力委員会設置法など八法案を一つの国会で通した。これは超党派で取り組んだ結果だ。与野党とも世界の進運に遅れてはならない、との切迫感があった。それが原子力推進の大きな力になった」

-原子力基本法の施行から半世紀がたち、国内では五十五基の原発が運転し、電力供給の三割を賄うまでになった。

「今後もさらに動力炉の改善が進んでいくと思う。プルサーマル(軽水炉でのプルトニウム利用)、高速増殖炉といった技術的進歩に取り組んでいかなければならない。ナトリウム漏れで停止したままの高速増殖炉原型炉『もんじゅ』についても事態を改善して前進させる段階になってきた」

「米国は原子力開発を一時ストップしていたが最近、ブッシュ政権が日本やフランスに追い付こうとして、再処理まで含めて動きだした。米国では既に百基以上の原子炉が動いているから、追い付くのも早い。ドイツ人は用心深いために遅れているが、フランスはもう十分な発展を遂げ、実績を積んでいる。英国も進んでいる」

地域の理解大事

-原子力関係者や立地地域に望むことは何か。

「新型原子炉開発、廃棄物処理、放射線の多目的利用をさらに前進させる段階になってきた。石油が高騰して(資源小国の)日本は原子力開発が一番必要な状況になってきている。米国ですら今、慌てて再開し始めたのだから。原子力推進のためには、やはり(地元住民と)話し合い、理解を得ることが大事な要素だ。分からない分野だから(不安を抱くのも)無理もない。日本の原子力施設は震度6ぐらいでも問題ないような耐震構造にしてあるため、費用はかかるが、それでもやらざるを得ない状況だ」

-エネルギー政策に関する小泉純一郎首相の発言はあまり聞かない。

「小泉君は集中主義で、道路公団と郵政の民営化問題から目を離さない。しかし、政治で一番大事なのはエネルギー政策、それと科学技術だ」

2006年3月20日(月) 東奥日報

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