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「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」 第1章 公衆災害を伴う大型原子炉事故の可能性

第 1 章

公衆災害を伴う大型原子炉事故の可能性


いうまでもなく、大型原子炉が万一大事故を生じた場合、敷地外の公衆に災害を与える可能性をもつ所以は大抵の大型原子炉中に大量の放射性物質が貯えられているためである。大ざつぱにいえば原子炉が停止して後約1日後において、内蔵されている放射能は熱出力1Wあたり1キュリーであるといえる。つまりここで取扱おうとする熱出力 50 万KWの原子炉では内蔵されている放射能の全量は約 5×108キュリーになるということである。多くの核分裂生成物に対する人体の許容量がマイクロキュリー(1キュリーの100万分の1)のオーダーで測られるものであることを考えるならば、核分裂生成物から生じうる潜在的危険は非常に大きいものであることがわかるであろう。


しかし、現在建設中や運転中の原子炉が公衆災害を生ずるような大事故を起こす危険性があるかどうかということは又別の問題である。原子炉内に内蔵されている放射能が万一敷地外に放散されたなら公衆に大きな災害を及ぼずおそれのあることは、原子炉設計の初期から痛切に認識され、そのような事故を未然に防ぐためのあらゆる合理的な予防措置が考案され 実施されてきた。その上大型原子炉を人口居住地域に設置する必要が生じてくるやいなや、一層厳重な事故予防措置が採用されることとなつた。そのような予防措置には、原子炉施設自体の事故を防ぐ安全装置と、炉自体の事故発生防止装置には一応無関係に事故から公衆を防護する格納施設と大別することができよう。濃縮ウラン炉を二次格納殻(コンテナー)で包む方法や地下に格納する方法は後者の例であり、緊急停止装置や緊急冷却装置などは前者の例である。このような努力の結果、すでに原子炉が開発されはじめていらい18年間たつた今日、原子力の安全の歴史は、かなり輝やかしいものであるといえよう。すなわちこの間に公衆に影響を与えた大事故は、英国ウインズケールのプルトニウム生産用原子炉が黒鉛のウイグナー放出作業中におこしたもの(不確実情報としてはソ連のスウエルドロフスクでおきた大事故がある)が唯―のものであり、この場合も放出された放射能は約2x104キュリーで、上述の内蔵放射能の量の1000分のないし10,000分の1にすぎないものであつた。しかしこのウインズケールの事故は、大型原子炉のもつ潜在的危険性を今更のように再認識させた点で貴重な体験だつた
ということができる。


国によつて原子炉の安全審査に対する考え方は若干のちがいはあるが公衆への影響という見地からすれば、米英とも大体次のような考え方によつて設置許可が発給されているようである。すなわち、


(1)平常運転時、原子炉からの(大気、地表、地中への)放射性放出物の流れは、敷地境界およびこれより遠い、いかなる地点においても、放射線レベルが連続曝射に対する最大許容量をこえないこと。
(2)緊急の事態において敷地境界をこえて放出される放射能の量は、”その発生がありうると信じられる最悪の事故”("Maximum Credible Accident")の場合でも大体において一般人があびる放射線量は最大緊急許容線量をこえないこと。

この考え方はわが国においても―応踏襲されており、日本原子力発電株式会社が英国から導入する発電炉についていえば、200キュリーの放射能が数時間にわたつて放散される事故が Maximum Credible Accident(以下 MCA と略称する)であるとされ、適当な措置をとれば、そのときにも敷地外の公衆にほ殆んど危険を与えないと判定された。


ここで米英の例についてそれぞれ MCA と考えているものを概観してみよう。 MCA のうち直接の原因か炉自体に由来するものとしては、反応度事故と冷却能力喪失事故とが考えられる。制御捧の引抜事故などによつて反応度の急上昇がおこれば、出カが上昇しいわゆる暴走をおこして大事故に到るおそれがある。しかし普通の発電炉では炉自体に自己制御性をもたせたり、制御捧の引抜に制限装置を附したりすることにより反応度が異常に上ることを防止するほか、万―或る程度以上の上昇がおこれば種々のスクラムによつて原子炉を急停止するようになつていることを考慮して、 MCA では殆んどの場合反応度事故は取上げられていない。一方、何らかの原因で冷却材で失われたり滅少したりしたときは、燃料温度が上昇し、燃料或いはその被服が溶融するおそれがある。多くの場合、 MCA では燃料溶融がおきる場合について解析を行なつているが、ガス冷却炉ではもともと冷却材の冷却能力が低く出力密度も低いので、冷却ガスがなくなつても原子炉が停止されるかぎりでは燃料がとけるまでに何時間かの余裕があるという理由から英国や前述の原電の場合には MCA としては燃料溶融は考えられていない。


以上の2つは事故の原因と考えられるものであるか、さらにもしそのような原因で事故が発生して温度上昇、燃料溶融がおこつたとき、それをさらに重大化し拡大化するおそれのある要素として、炉材料の化学反応がある。たとえは温度上昇した炉内に空気が侵入すればジルコニウム、ウラン、ウラン合金などの急激な酸化反応が、水が侵入すればジルコニウム、或る種のウラン合金、ナトリウム等と急激な化学反応がおきる可能性があり、また有機材のような特殊なものでは、それ自体が燃焼性が高いということもある。このような化学反応に関しても、目下研究実験が行われている段階であり、事故の際の効果はまだ明らかになつていないので、現在のところ MCA では、化学反応は何らかの原因で事故が生じたときに放出放射能が増加する要素として取扱われている。


以上を要約していえば、多くの場合 MCA では、(1)何らかの原因で冷却材喪失がおきたとし、炉自体の性質や種々の安全装置の作動によつて原子炉は停止されるものとするが、(2)燃料体中の放射能熱により燃料が溶融したり、溶融しなくとも燃料被覆のピンホールから空気が侵入し燃料を酸化とすることによつて、或る量の放射能が燃料から放出され、(3)コンテナがついている場合はそれからの漏洩、またはコンテナーの破損によつて、前記の放射能の一部又は全部が大気中に放散されるものとしている。原子炉が暴走事故に到る場合をも MCA として考察の対象としているものもなくはないが、多くの場合以上のような MCA の考え方が取られているようである。


MCA の結果として大気中に放散される放射線量としては200キュリーから約104キュリーという大きな幅にわたつているが、普通104キュリー程度が短時間(事故の際に内圧上昇や内部からの飛弾によつてコンテナーが破損)又はかなり長時間(燃料酸化の場合、或いはコンテナーから1日0.1%―1%の割で漏洩する場合)にわたつて大気中に放散されるものとしている。


以上のように、同じ MCA でもその考え方と放散量にはこれほど大きな相違がある。これは、部分的にはたしかに原子炉型式の相違や安全設計の相違に起因するものもあるが、それよりも個々の原子炉の設計者または許可者がどの程度の事故をcredible(起こると信じうる)のものと考えるかという、多少とも主観的な要素に左右されていることは事実であろう。



(※)MCA を出来るだけ客観的なものに統―しようとする試みもある。たとえば、国際原子力機関の研究炉安全マニュアル草案では、「 MCA とは考えられる事故原因2つの最悪の組合せ」という意味の定義を提案している。しかし MCA を完全に客観化することは非常に困難であろう。


以上のことによつて、 MCA を問題にするかぎりにおいては巨大な公衆災害を生ずることはありえないことになる。しかし果して大型原子炉は公衆に災害をもたらす可能性が”絶対的”にないといえるであろうか.ここにおいて問題となることは、 MCA の評価に主観性が伴うという事実である。そして、その一つの岐かれ目は、原子炉の暴走を生ずるような事故を MCA と考えるか否かであり、もう一つは燃料熔融を考えるか否かの点にある。 MCA でも公衆災害をほとんど生じないどいうのは、設置者や許可者の慎重に仮定した原因と経過に従つて事故がおきるという保証があるときに限られるということができるであろう。このような保証が技術の進歩によつて漸次確かめられつつあることも確実であろう。しかし一方今日までにおきた事故―それはウインズケールをのぞき全く小規模のもので多くは研究室内に止まるものである―の経緯を検討してみると(附録(A)表2を参照)そのすべてが人為的な錯誤に起因している。多くの場合は全くの過失であり、又他の場合は知識の不完全性のため全く予期しなかつた現象が生じたことによるということができる。(※※)


したがつて我々は公衆災害を考察するに当つては、質的にも量的にも MCA 以上の事故を考察しなければならないと考える。と同時に米英等においても、―方で原子炉が公衆災害を生じるとは信じられない(non-credible)という立場で原子炉の設置運転許可を与えながら、他方で万一 MCA 以上の事故が生じたとき第三者賠償に当てうる資力を設置者に要求し、またその能力をこえる事故が生じたときに国家が何らかの形で補償を行なうようにしていることは我々の考え方を裏付けているということかできよう。したがつて我々は、本調査では MCA 以上の規模の事故を対象とすることにしている。


本調査では104キュリーをこえる量が大気中に放散される事故を対象とする。こういう大事故の可能性については前述のことからも明らかであるように本質的に確率を計算できないものであり(※※※)またそれ故にこそ、それに対して民間賠償責任保険以外の措置の必要が強調されているといえよう。

WASH においてもこの可能性の点については何人かの専門家のカンによる推定を集めようとしたが、大部分の専門家はこれを確率数値で表すことをことわつたと述べている。(×)



(※※)顕著な例として1958年10月におきたユーゴの臨界超過事故(1名死亡)あげることができよう。この場合、計器が事故の発生を伝えていたにもかかわらず、操作員が安全性に対して過度の信頼をもつていたため、計器の方が故障しているものと思いこみそのため対策が著しくおくれてしまつた。なおこの場合も勿論公衆損害は生じていない。)
(※※※)MCA の範囲内では或る程度根拠のある確率の推定も可能であろう。

(×)WASH には専門家のカンによる確率が非常に幅のある数字として示されている。これは全く科学的根拠のないものではあるが、だからといつて科学的根拠のある推定は今日では何人もなしえないところであろう。

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